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2008_06
20
(Fri)00:46

無意識な行動から生まれてしまったもの。

色んな環境で育ち、色んな痛みやトラウマを誰もが抱えているのはきっと少なくないと思う。

そんな中で、成長し自分に対する自己評価が低くなってしまった時、他人に自分の本当の価値を知られるのがとっても怖くて、そして恥ずかしいと感じてしまうことがあったりするのではないだろうか。

例えば、自分が中心でないことに寂しくなったり、自分でも良くわからない怒りが込み上げてきたり。

上下関係はまた別にしても、対等な関係、親しい間柄においては堅苦しく、違和感のあるものとして感じられ、その関係から逃げてしまうことも気付いたらあるかも知れない。

自分のことをしてこなかったことで、一人になった時どうして良いかわからない。
何をしていいのかわからない・・・退屈を感じてしまう。
その寂しさや退屈を埋める為に、色んな依存によってその穴を埋めようとしてしまうことが気付いたらあるかも知れない。

紛れている間は、満足で退屈でもなく、空っぽの心も感じない。
でも、それは決して自分自身を取り戻したのではなく、一時的なものでしかないことをどこかで感じるから、また何かへ依存してしまう・・・の繰り返し。

でも、これは無意識に自分を守る為に身に付けた手段であって、そうしなければならない状況があったと言うことであって、好き好んで自らそうした訳ではない。
そうしないと、生きていけないぐらいに苦しいことの中でやっと見つけた唯一の方法だったのだと思う。

コントロールされ、支配され続けてくるとそれまでの生活や習慣にしがみ付き、それがいかに良くない事であったとしても変えようとすることは出来ない。
それが、もし他人からの力によるものであれば、極度に拒否したり拒絶したりしてしまう。
それがどんなに良いことであり、抜け出すきっかけであったにしても。

自分を支配されるかも知れない、コントロールされるかも知れないと言う恐怖を感じてしまうから。

決して、甘ったれるなとかしっかりすればやっていけるはずだとか決め付けないで欲しいと思っています。
それだけで片付けられない問題がたくさんあると言うことを伝えたい。
無意識に身を守る方法を必死で探してきた人達は、間違っているとか間違っていないとかではなくただ、ひたすら自分の居場所を求め、探し続け、ようやく見つけた方法だったと言うこと。

自分を認めて欲しい、受け止めて欲しい、理解して欲しいと言う思いはあって、でも身に付けた方法は確かに適切ではなかったと言う結果が、寂しい思いを抱えての生き辛さになってしまったと言うこと。

わからないことがわからないことであることも、どうしたらいいのかと言うこともわからずに、心の底から苦しんでいると言うことも本当の気持ちなのだと思う。

それを変えようとすることは、適切な方法を進もうとすることはとても苦しく、とても難しく、とても辛いことであり、その中で痛みと苦しみと絶望と卑下してしまう自分と闘っている。

決して自分で望んだことではないと言うこと、そうしなければ生きていけない自分がいたと言うこと。

上手く言葉に出来なくてゴメンナサイ。
そして、これが全てではないほんの一部のことであると言うこと。
それは、それぞれ抱えているものはそれぞれ違うものだから。

もし、これを読んで気分を害した人がいたらゴメンナサイ。
でも、こんな思いを抱えて生き辛さの中で必死に生きている人は必ずいると思います。

未来が明るい幸せなものであります様に…。
そして、それは自分自身で乗り越えて行くものに違いはないけれど、もし力を貸してくれる人が側にいたのなら、勇気を出してその手をつかんで欲しいと思っています。

幸せになる権利は全ての人に平等であると私は思っています。

これからも、応援宜しくお願いします。
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